第十二話  近藤勇の襲名披露式と大国魂神社


私・新撰組局長は大国魂神社とは、付き合いが長い。

昭和42年に某電機メーカー系列の会社に入社しているのだが、
工業用コンピューターの製造工場が東京都府中市に有ったからだ。

現在でも、JR府中本町駅は乗換駅だ。
徒歩3分で、「大国魂神社」に行ける。

「大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)」の歴史は古い。
特に、源頼朝の5世代、4世代前の先祖が「奥州征伐」に出陣する際に「戦勝祈願」をして、
後に、参道に千本のケヤキを奉納しており、今なお、大木で900年近く繁っている。

源頼朝も、時折、祈願をしている。
徳川家康も、「関ヶ原の戦」「大阪の陣」にのぞむ時にも、必勝祈願をしている。

現在の地名で府中市と調布市は隣接している。

近藤勇が万延元年(1860)、天然理心流門人による献額と型試合を奉納した。
翌年の文久元年(1861)八月に、天然理心流四代目の襲名披露式をしており、
この時、大国魂神社境内で「野試合」を主催して、数百人の武芸者が集まり、
紅白の二軍に分れて戦ったと、記録に残っている。

何しろ、約1900年の昔から、今なお、「武運の神様」として崇め奉られている。

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