第六話  因縁の板橋と二番隊組長・永倉新八の墓参り


私・新撰組局長は、この日は二万二千歩歩いた。
・・・第五話で紹介済み。・・・

ある文献を漁っていたら、『近藤勇に於いては、中山道の板橋宿から動乱の
生活が始まり、この板橋で首を切られると言う起承転結の因縁の深い土地である』と、
述べている。

早速、『起承』の部分の板橋宿の「板橋」を撮影に行った。
中山道・上板橋宿から歩き始めた。
旧中山道は道幅5メートルほどで、活気のある商店街が延々と続いていた。

40分ほど歩いたろうかやっと、JR埼京線・板橋駅前にたどり着いた。
『転結』の「新撰組・近藤勇墓所」の立て看板が目に入った。

狭い境内には、正面に「近藤勇宜昌と土方歳三義豊之墓」としるした石塔、
左手に「新撰組永倉新八墓」としるした石塔が有り、右手には小型の近藤勇の
立ち姿の石像があり、大きな板碑にはびっしりと、漢詩が書いてあった。
これらの石塔は、二番隊組長・永倉新八が発起人になって明治九年五月一日に建立したもので、
正面の石塔の両側面には、新撰組隊士110名の名前が彫られている。

写真は2003−10−10に撮影。

石神井川に掛かる板橋の現在図 板橋上宿の名所
上宿広場 旧中仙道・・道幅5メートル
板橋・・・板に見せてペンキ塗り 日本橋から2里
JR埼京線板橋駅前の「近藤勇墓所」 墓所内
二番隊組長・永倉新八の墓 近藤勇の石像
近藤勇と土方歳三及び、110名の名前が彫られている。

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