第23話  新撰組、天王山を攻める

九条河原に陣を張っていた新撰組に、御所の南側「堺町御門」に移動する様に
指示が出て,新撰組が「堺町御門」に到着した時には、既に幕府方の勝利で、
真木和泉の率いた長州軍は、激戦場から二十日には山崎まで落ちのびていた。
ここで従ってきた数十人を解散している。

長州軍の撤退を見送った真木和泉以下17人は、もともと、長州藩のメンバーで
なく、それぞれの国許に帰るつもりもなく、京都を離れる事は考えていなかった。
最後まで行動を共にすると言う16人を連れて「宝積寺」で1泊し、21日に天王山に
登り、会津藩士と新撰組の200名、見廻組の300名の討伐軍を確認したので、
もはやこれまでと、天王山の中腹に登り京都の見える場所で
火を放ち、尊皇攘夷の志し半ばで,自刃したので有る。

下の写真をクリックして、スライドショーをご覧ください。


真木和泉以下17人の遺体は「宝積寺」の三重塔の前に埋められていたが、
明治元年に彼らの志を汲んでやるべく,京都の街が良く見える場所に改葬され、
立派な墓碑が建てられた。

筑後の神官・真木和泉は、土佐藩士,久留米藩士、宇都宮藩士,肥後藩士など
諸国の志士たちと一緒に眠っている。

下の写真をクリックして、スライドショーをご覧ください。


画面一杯の高画質写真で,天王山の様子と、十七烈士慰霊碑近くからの京都の眺望を
ご覧下さい。


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・・・おしまい・・・