第17話  謎の死をとげた初代局長・新見 錦(にいみ にしき)

この人物は謎が多い。
一説に、最初は「新見 錦」で、最後は「田中伊織」を名乗ったらしい。

新見 錦は、享年28歳でこの世を走り抜けた。

水戸藩の出身で、「浪士隊」結成時は「浪士隊三番組小頭」の役職である。


文久三年三月頃に構成された組織表(第一次編成)を見ると、
局長に、芹沢鴨、近藤勇、新見錦の3人の名前があり、
副長に、山南敬介、土方歳三の2人の名前がある。

文久三年六月に構成された組織表(第二次編成)を見ると、
局長に、芹沢鴨、近藤勇の2人の名前となり、
副長に、山南敬介、新見錦、土方歳三の3人の名前がある。

この頃、新撰組内部は、江戸の試衛館グループと、水戸グループに大別され、
芹沢鴨、新見錦、平山五郎、野口健司、平間重助らのボス的存在の芹沢鴨の
悪行非道な行為を粛清するために、『新見錦』は、文久三年9月十三日、
祇園の「貸し敷・山緒」で切腹したことになっている。

この後、芹沢鴨、平山五郎が八木邸内で暗殺され、平間重助は京都を脱走し、
郷里の水戸に潜伏している。

文久三年十二月二十七日には、水戸グループの最後の一人だった野口健司が
暗殺されている。

結局は、新撰組内部から、水戸藩出身者は一掃されたのだ。

亡骸は、八木邸に近かった「壬生寺」に埋葬されたのだ。

「浪士隊」から離別し、京都に残り、「会津藩御預」になった24人は、
試衛館派が9人、水戸派が7人、その他が8人いた。
その他の「殿内義雄は暗殺」、「阿比留鋭三郎は病気で江戸に戻り翌年病死」
「家里次郎は殿内暗殺後脱走し、切腹」、「佐伯又三郎は島原で斬殺」の為に、
「壬生寺」に埋葬されている。

ここで「壬生寺」を紹介する。・・・ 合掌はここをクリック