第八話 総勢約240名の宿泊場所はここだ。


私・新撰組局長は、中山道(なかせんどう)を歩いていない。  よって、創作文である。

文久三年二月八日に、小石川伝通院で結団式を行った「浪士隊」は
数日後の吉日に、板橋宿の「板橋」を渡って、一路、京都へと
歩き始めたのである。

「中山道六十九次」と言われているが、中間ほどにはかの有名な
「木曽路」を通っているのだ。

「木曽路」と言えば、私・新撰組局長も「馬籠宿」「妻籠宿」には行った。
「権兵衛峠」なども車で走った。
木曾の御嶽山を見ながら、「木曾節」を歌いながら、みんなでワイワイ言いながら
行ったのであろう。

中山道は約540キロメートルの道程である。
20歳代、30歳代のサムライ達なら、健脚揃いだろう。
一日に、十里(40キロメートル)歩けば、14日間で江戸から、京都の三条大橋に
着くはずである。

史実は、二月二十三日に総勢約240名は壬生に到着したのである。

そして、「浪士隊」は「新徳禅寺」「八木邸」「前川邸」に分宿したのである。

さて、「島原の太夫」が上記 3ヶ所の撮影をしてきた。
「新徳禅寺」は非公開のため、山門のみ撮影した。

「八木邸」は入り口に「新撰組遺蹟」と標した石標が建っている。
ここには、芹沢鴨や近藤勇たち幹部十三名が宿泊していた。

「前川邸」には、幹部以外の隊士が宿泊しており、血気盛んな若者が
多かったので、建物内部のあちこちに刀痕が残っている。

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