第九話  新撰組誕生の前夜 (旧八木邸の内部を紹介)


『局長〜 私、今何処にいると思うかぁ〜』と、「島原の太夫」からの電話である。
『今日は八木邸のオーナー(土地所有者)にアポが取れて、非公開の所を
案内してもらえるのだぁー』と、声が弾んでいた。

「島原の太夫」は、持ち前の美貌に加えて、営業畑のビジネス界で洗練された交渉力を
身に付けており、たいていの男性は「彼女のお願いしまぁーす」の、エレガンスなトークに
騙され、「あなたのホームページの為に、是非、協力したい」と言わせてしまうようだ。


さて、八木邸は「浪士隊の幹部たち」が宿泊していた。

清河八郎が率いる240名の本隊は、20日間ほどで江戸に戻ることになったが、
芹沢鴨、近藤勇、土方歳三ら13人は「浪士隊」から離脱して京都に残ることになり、
続けて、八木邸を宿泊場所にするのであった。
この間の13人の身柄は、「会津藩御預」となったのである。

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「浪士隊」離脱のあらすじ
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清河八郎の献策で集まった「240名の浪士隊」は、上洛した徳川第14代将軍・家茂の
警護の為に京都に来たのだが、二月二十三日の夜、
清河八郎は「新徳禅寺」に浪士隊を集合させ、「将軍警護は本旨にあらず、これより
攘夷の先駈けとなるべく朝廷の新兵になる」と、宣言をした。

翌朝、尊皇攘夷の志を天皇に奉上するべく朝廷の使者に働きかけた。

このとき、浪士隊取り扱いの責任者の山岡鉄太郎や板倉周防守らは、
清河の勝手な振る舞いに対し、朝廷に働きかけた。

結果、朝廷より浪士隊へ勅命が下る。
「生麦事件の為にイギリス軍艦が横浜に来ているので、横浜へ行け」と。

かくして、20日間で、浪士隊は江戸に帰る事になり、近藤勇の道場「試衛館一派」
と、芹沢鴨の「水戸一派」の13人が浪士隊を離脱して、将軍に節義を全うしたのである。

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「会津藩御預」の間、八木邸で居候生活を始めた近藤勇たちは、『八.、十八の政変』
まで、ひもじい生活をしていた。

「島原の太夫」が撮影してきた「八木邸の内部」・・・ ここをクリック