第32話  坂本龍馬危うし(寺田屋)

慶応二年(1866)一月十八日、坂本龍馬は長州藩士の三吉慎蔵、新宮馬之助、
池内蔵太と共に大坂薩摩藩邸に入った。
翌十九日には、京都伏見の「寺田屋」に入った。

新撰組や御用改めの見廻組が、薩摩藩と坂本龍馬の行動を見張っていた。
一月二十三日の夜、伏見奉行配下の捕り方百数十人が「寺田屋」を取り囲み、4人を
捕らえる為に急襲した。

一階で入浴中のお龍が、宿の外の物音に気づき、裸のまま裏階段の急斜面を駆け登り
二階の部屋にいる坂本龍馬たちに異変を知らせた。

龍馬は所持していたピストルを撃ちながら、多数の捕り方相手に乱闘になった。
屋根づたいに逃げて川端の材木屋の屋根に隠れた。

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翌朝、救助の知らせを受けた伏見薩摩藩邸の藩士たちは濠川(ほりかわ)沿いに
舟を出し、坂本龍馬を助け出し、藩邸に匿った。
この時、龍馬の右手の甲にうけた傷は、動脈を切ったので、3日間血が止まらなかった。

伏見奉行側は、再三再四、薩摩藩に龍馬の引渡しを要求したが、薩摩藩は「知らぬ存ぜぬ」
で押し通した。

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その後、傷が回復するまで、錦小路の薩摩藩邸に移り、三月五日、お龍とともに
「薩摩藩船・三邦丸」で大坂を出航し、鹿児島に向かった。
当時、藩の外へ旅行することは許されなかった時代。
龍馬とお龍の鹿児島行きは、日本初の新婚旅行で有った。


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・・・おしまい・・・