第31話 薩長同盟成立
坂本龍馬の働きかけで薩摩藩のリーダー・西郷隆盛と、長州藩のリーダー・桂小五郎は
軍事同盟に賛成はしたものの、それぞれの藩内の事情もあり、西郷隆盛の約束破りに
桂小五郎も憤慨し、薩長連合の話は流れてしまった。
一ヵ月後、京都薩摩藩邸に坂本龍馬と中岡慎太郎が現れ、西郷隆盛に面会した。
その内容はと言うと、「亀山社中の商談」であった。
坂本龍馬と土佐藩の藩士たちで、長崎に「カンパニー・亀山社中」を設立している。
大株主に福井藩と薩摩藩がなっていた。
京都から追い出された長州藩は、幕府軍と戦争状態にあるものの軍艦や武器が欲しい事を
坂本龍馬は桂小五郎から聞かされていた。
そこで、坂本龍馬は商談の中味を西郷隆盛に熱く語った。
『薩摩藩は、亀山社中の大株主である。
亀山社中が外国から、薩摩名義の軍艦と武器を輸入する。
その品物を長州藩に売り渡す。
すると、儲けが出るので、株主の薩摩藩に利益が生じる。』
こうして、1865年8月26日、イギリス商人グラバーから7,300丁の洋式銃を
買って、長州藩に渡した。
1865年10月18日、薩摩名義の軍艦ユニオン号をグラバーから購入し長州藩に渡した。
武器と軍艦を約束通り入手した長州のリーダー・桂小五郎は再び、坂本龍馬の勧めに従い、
薩摩のリーダー・西郷隆盛と会うことを決断し、長州藩の一行は京都に向かった。
坂本龍馬は長崎に行き、10日程遅れて京都入りした。
京都二本松薩摩屋敷にいる桂小五郎から、『薩摩藩邸で、連続10日間の宴会をしていたが
軍事同盟の話は一言も出なかったので、もう、同盟のことは諦めて長州に帰る』と、
聞かされた坂本龍馬は激怒した。
そして、西郷隆盛のいる薩摩藩邸に駆けつけ、刀を振りかざし、死ぬ気で、西郷隆盛を説得したのである。
翌日、1866年1月21日、薩長同盟の密約は成立したのである。
当時の薩摩藩邸は、御所の向かいにある相国寺の一部を借地していた。
その薩摩藩邸の跡地は、現在、同志社大学が建っている。