私は、姓を近藤と申します。


よって、このwebページでは、「新撰組局長」と名乗っております。

私・新撰組局長は、本日(平成15年10月5日)に副長の墓と
六番隊組長の墓と、中村太吉郎の墓を訪ねた。

万歩計は22,800歩と少々きつかったが、楽しく満足のいく一日であった。

尚、今回は『熱烈な新撰組ファン』を紹介したい。

写真公開は本人の了解を得ているので、今後、お会いしたら、
「近ちゃんのホームページを見たよ」と、声をかけてやって下さい。

まずは、「土方歳三資料館」で出会った青年・・・どことなく、
土方歳三のそっくりさんである。

続いて、高幡不動門前の土産物屋で出会った母子連れの娘さん
・・・近ちゃんのホームページ視聴率高いよにも、・・・・
物怖じせず、チャーミングにモデルになってくれた。

それでは、大画面で2人を紹介しよう。 ⇒ ここをクリック。


さて、話を元に戻そう。


JR東日本の「小さな旅」・・多摩・山梨の旅の20ページに、
『新撰組ゆかりの地を歩く』のタイトルで、
中央線のJR日野駅からスタートして、宝泉寺、ふるさと博物館、
高幡不動尊金剛寺、石田寺、土方歳三資料館、歳三が通った道場と
回ってJR日野駅に戻ってくるのだ。
のんびり歩いていたので、5時間以上もかかってしまった。

副長の土方歳三くんは、日野市の石田寺に眠り、六番隊組長の井上源三郎くんは、
日野市の宝泉寺に眠り、中村太吉郎くんは大昌寺に眠っているのだった。

今日は、秋風が吹き、肌寒いのだが、日中は日射しが強く、半袖でリュックを
背負っていると汗ばんできた。

それでは、写真を見ながら、皆さんを案内しよう。

中央線JR日野駅の建家は何故だか民家風であった。
百メートルほど歩くと、宝泉寺の山門に着いた。
境内の一番、目の付く所に、真新しい石碑が建てられていた。
まさに、大河ドラマに便乗したのが見え見栄であった。

「六番隊組長・井上源三郎の墓前」には、20冊ほどの連絡ノートが
置かれていて、「新撰組の友の会が大奮闘していること」が判った。

ここまでを一区切りとして、写真とノートの拡大画像を見てみよう。

中央線JR日野駅舎と高架ホーム 宝泉寺の山門 宝泉寺の本堂
井上源三郎の記念碑 井上源三郎の墓 平成9年に再建立
墓前に連絡ノートがぎっしりと。 こまめに書込み/返信している。
ノートの拡大画像を見てみよう。・・・・⇒ ここをクリックする。  戻りかたは次画面で説明あり。


この後、ふるさと博物館と日野市役所前を通って一時間以上の歩きだった。

高幡不動尊の五重塔が見えてきたら、「淺川」に架かる「高幡橋」を渡ると、
「日本三大不動尊」の一つ『高幡不動尊』のある『金剛寺』に辿り着く。

ここの境内には、等身大の土方歳三の銅像が建っており、美男子の顔に
見とれている女性が多くいた。

5分ほど眺めているおばさんに声を掛けたら、「惚れちゃいましたぁー」と、
上ずった声が戻ってきた。

ここまでを一区切りとして、写真と拡大画像を見てみよう。

日野市役所ののぼり旗 高幡不動尊の境内 土方歳三の銅像
土方歳三の銅像 土方歳三の銅像 土方歳三の銅像
近藤勇と土方歳三をたたえる
土方歳三をスライドショー形式(順次拡大方式)でご覧ください。  ⇒ ここをクリックする


山門前が交差点であり、その角から二軒目の「おみやげや新選組」には、

店内いっぱいに品物が並んでおり、ファンのお客さんも引っ切り無しに
出入りしている。

母子連れの娘さんが熱烈な新撰組ファンだと言うので、是非、
「近ちゃんのホームページ」に登場して欲しいと頼み込んだ。

ここまでを一区切りとして、写真と拡大画像を見てみよう。

店内を拡大画像で見てみよう。・・・・⇒ ここをクリックする。 


さて、銅像の次は、土方歳三の眠る『石田寺』まで30分の道のりである。

山門前に着くと、中から若い娘たちが2組出てきた。
後組の二人の写真を写してやり、「近ちゃんのホームページ」のURLアドレスを
印刷した名刺を配った。・・・・いつも、この手法で配っているのだが・・・・

土方歳三のお墓は、美男子だった故に人気が高い。
今日も沢山のファンが押しかけていた。

お墓まで、案内してきた「現代の土方歳三役の美男子」に、『土方歳三資料館』まで
一緒に連れて行ってもらった。
『土方歳三資料館』は月に2回、時間制限つきで公開されている。
生家は、平成2年に建て直し、その際、住宅の一間(8畳間)を展示室にしていて、
一回に20人ほど入場して、30分ほどの説明を、館長自らしてくれるのである。

『土方歳三』は、土方よしあつの四男として誕生するが
生まれる前に父を亡くし、六歳で母とも死別する。
幼くして武を好み庭に矢竹を植えた。
11歳で江戸松坂屋に丁稚奉公に行ったが夜を徹して甲州街道を逃げ帰ってきた。
長ずるに剣を好み、天然理心流の門下生になり、初めて近藤勇と親交を深めた。

ここまでを一区切りとして、写真と拡大画像を見てみよう。

生家跡・・・土方歳三資料館を併設 日野市の同好会のメンバー・・・受付担当
日野市の同好会メンバー 土方歳三(独身)の兄の四代の末裔宅
  土方歳三の胸像
土方歳三のお手植えの『矢竹』・・・この竹で矢 土方家の菩提寺・・・「石田寺」
中央の墓石が、土方歳三 明治二年五月十一日、享年35歳
   
資料・看板を拡大画像で見てみよう。・・・・⇒ ここをクリックする。 


ウォーキングコースとしては、6割ほど歩いた。

残りのコースはJR日野駅近くにある「道場跡」と、「大昌寺」を見るために
一時間の歩きである。
途中、畑と、田んぼで飽きてしまう。
一人で、鼻歌でも歌いながら歩かないと、まが持たない。

土方歳三らが通った「天然理心流の道場」は、長いこと「そば処・日野館」
だったが、日野市が買い上げ、新名所にするらしい。

「大昌寺」には、土方歳三と志を一緒にして京都に行った「中村太吉郎」の
墓もある。・・・途中で江戸に戻っている。

ここまでを一区切りとして、写真像を見てみよう。

天然理心流の道場 天然理心流の道場
天然理心流の道場
大昌寺には、中村太吉郎が眠る 大昌寺本堂
中村太吉郎は途中で戻り、俳人になった。 中村太吉郎のち、「玉川居」の墓

 

おさらいの意味で、大画面表示で再度ご覧ください。 ⇒ここをクリック。


さて、過去2回の取材で見えてきたことは、


・・・・・新撰組の幹部と多摩地区の関係である・・・・

多摩は徳川幕府の直轄地が多く、比較的年貢が緩やかだった。
その為、幕府寄りの住民が多く、そのような環境から
局長の近藤勇(東京都調布市)や副長の土方歳三(東京都日野市)や
六番隊組長の井上源三郎が輩出したものと考えられている。

・・・おしまい・・・