| 10月の栞 『三陸花火大会』
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二ヶ月前、青森県八戸市まで花火遠征したばかりにも関わらず、又しても岩手県陸前高田市まででかけた。
前回よりも一時間半ほど近いが、それでも所要7時間半。
この日は各地でクラウドファンディングによる花火など、いわゆるサプライズ花火が沢山上がったことは帰宅した翌日に知った。近場では湯河原、裾野、伊東、平塚、そして近藤師匠の地元海老名まで。
ただ、10000発規模の大会である、「三陸花火大会」は絶対に外せない注目花火だった。
もう一つの関心事としては、やはり津波で壊滅的打撃を受けた陸前高田市をこの目で見てみたいと言う強い願望があった。
震災直後東北道は勿論通行止めになったが、開通後走ったところ、応急のアスファルト舗装で、相当波打っていた記憶がある。高速を走っていても、遮音壁で回りが見えないところも多いし、第一高速で走っていては景色さえ見ることはできない。そこで、一関ICで降りて、一般道を走ることにした。現地に近づくにつれ、実際に津波に襲われ、水没した場所には案内板が立っていて、なるほどと思わせる。リアス式海岸特有のアップダウンの多い道、海岸線から少し入っただけで小高い丘が現れるなど、地形的特徴を目の当たりにした。津波で一切合切なくなってしまったのであろう平地には、新しい道路が作られ、また一部は工事中だったりした。まだ建造物がほとんどない其処には、真新しい電柱だけが異様に乱立しているように感じた。
到着は13時過ぎだったので、まずは「高田松原復興記念公園」に立ち寄る。ここには例の「奇跡の一本松」がある。震災当時は,その前にある青少年センターの建物に守られたのか? 一本だけ流されずに済んだのだが、翌年残念なことに枯れてしまった。だから、今現在この松に生命はない。途中から不自然に継ぎ足されたそれは、モニュメントとして残されている。テレビで何度も見ていたので、何とも言えない感無量な気持ちになった。そして、津波で辛うじて青少年センターの鉄筋コンクリートの建物だけが、そのまま残されていた。百聞は一見に如かず、たった一つの震災遺構を見ただけでも、津波の恐ろしさを十分に感じることが出来た。さらに「東日本津波伝承館」で詳しい展示物をみたかったのだが、花火の場所取りのことが気になり、ゆっくりしていられなかった。周囲は以前の松林こそ全くなかったが、新たに整備された真新しいコンクリートの橋や遊歩道が造られていた。震災から10年まだまだ復興は道半ばだと感じた。とりあえずは、この日の目的の半分は(十分ではなかったが)達成できた。
実は、撮影場所に関しては、これと言った場所が決まっていたわけではない。逆に言えば、「どこからでも見られるのでは?」と言う甘い考えもあった。クラウドファンディング付2メートル四方の4人用で35000円から一番安い自由席2000円までいろいろ用意されていた。中でも、「ドライブイン花火シアター」と言う車内から花火を見る新企画もあり、コロナ禍の下、工夫を凝らしていたようだ。勿論ライブ配信も実施されていた。駐車場は有料入場者のみ割り当てられていて2000円。会場に隣接しているので便利ではあるが、終わってからの脱出は地獄だったようだ。自分もまったく行ったことのない場所だったので、撮影ではなけ有料エリアに協力しても良かったのだが、10号玉が多数上がると聞いて地図を確認した結果、それはあまりにも近いのではと思い断念した。
事前に、グーグルマップ等で現地を「視察(試察?)」してみたのだけれど、ピンと来るようないい場所は見つからなかった。かなり離れたところに展望台らしき名前は発見できたのだが、グーグルおじさんがグルグル見回してくれた範囲では、木々に囲まれていて、「どこが展望台なんだ!」状態だった。現地に到着してから一通り車を流してみたが、「交流センター」あたりの高台がいいと分かったものの、高台の先端は木に覆われていてダメだった。仕方がないので電信柱の乱立する平坦地で撮影することに決めようと、車を停めた。少しして、軽トラックから降りて来て草刈りを始めた初老の人に視線に入った。「ダメもとで聞いてみよう。」そう思って「お仕事中すみません。」と声をかけてみた。初めは少し警戒していたのか?I愛想がなかったが、少しして喋るわ喋る!やはり候補としては、「交流センター」を挙げた。「あそこは公共施設だから、車も大丈夫だとは思うが・・・。」続けて、「その近くのホテルもいいと思うけど、私有地だからなぁ。震災住宅に知り合いでもいたら、あそこの屋上がいいなー(いるわけねーだろ!)」。「あとは・・・、移転した気仙小学校近くかな…」。自分がそこに関心を示すと、道を丁寧に教えてくれた。橋をわたって45号を少し行って右にカーブしているところを右に曲がって、ずっと上がって行くんだ。」時間的にはまだ余裕があったので、とりあえずは行ってみた。区画がきれいにされた住宅街には震災で家を失った方のためだろうか、新築の家が建ちつつあった。そのはずれに切り立った崖があり、なんとそこには三脚が4〜5脚立っていた。「ここで撮るしかないかな…」。そう思いながらとりあえず三脚を一本だけ担いで景色を眺めに行った。しかし、ここからでは打ち上げ位置に対して、ほとんど真横だった。海岸線に対して、あるいは堤防に対して平行線が引けてしまう。どうしたものだろうか、一瞬躊躇しながらふと華奢な三脚の隣の隣を見ると、地元の新聞社の名前、さらに一番端っこの三脚には「聖教新聞」とある。彼らがここを選ぶということは、ほかにめぼしい場所がないのかも?と感じた。確かに「奇跡の一本松」が眼下に見え、間違いなく見晴らしは最高。逆に位置関係は最悪。もしワイドスターマイン多数打ち上げだとしても、ここからは海寄りと、有料席近くの小玉のスターマインが、二か所打ちにしか見えない。「尺玉さえ撮れればいいか!」覚悟を決めるしかなかった。
花火は、山梨県の(株)マルゴーさんが中心となり、全国の煙火業者の有志から集められた、いわゆるコロナ禍で打ち上げが出来なかった玉を含め、こ子「陸前高田」での消費となったようだ。悪い玉が上がるはずがない。期待は大きかった。おそらく2020年の花火大会の中で10000発を超える花火大会は、ここしかないかもしれない。辺りが暗くなるにしたがって期待は膨らむばかりだ。自分もかなり遠くから来たつもりだったが、少し離れたところで構えていたカメラマンは、名古屋から来たと言う。上には上がいるもんだ。三脚の壁の後方が次第にうるさくなってくる。子供連れの家族が続々と集合。やはり有力な観覧場所であることは間違いなさそうだ。しかし、19時を回っても花火は上がらない5分、10分、経過。子供たちが、しびれを切らして、走ったり、懐中電灯で遊びだしたりして、どうにも収拾がつかなくなってきた。19時15分頃になっていただろうか、満月もだいぶ上まで上がってしまった頃、いきなり(当たり前ですが)ドッカーンと一発目が上がった。久しぶりに程よい距離で10号玉を拝むことが出来た。レンズは24〜105、縦位置で28〜300の二本立て。遠花火だったので、有料席での進行状態が分からず、大会関係者の挨拶などで時間を使ったのかもしれない。打ち上げ後も、ここからだと多少間延びしている感じがした。いちいち説明が入っているのか、プログラムさえなかった(入手できなかっただけか?)ので、雲をつかむよう。
日中あれほど強かった海からの風が、夕方になって微風になり、打ち上げ時間中は滞留状態。気温は10度を少し下回り、湿度は60パーセント程度。さすがに冷え込んできたと言った感じ。開始直前に羽織るものを取りに行って正解だった。湿度が低めだったので、中途半端な高さで動かない横一線の煙を除けば、まあ許せる範囲だった。多少の間延びで間隔があいていた(開けてくれた?)のも幸いした。マルゴーさん始め、磯谷煙火店さんなど有名どころの作品には思わず声を出てしまった。後方では拍手も聞こえた。特に、ここ三陸で上がる10号玉が、単独でまっすぐに上昇するさまを見ていると、多くの方が犠牲になった(陸前高田市でもまだ200名余りの行方不明者がいる)鎮魂の花火の意味合いが強い感じがしてならなかった(白菊系があっても良かったような気がする)。
来年からは、東北太平洋沿岸で唯一の花火競技大会を目指すという。コロナ・ウイルスのことは気になるが、ワクチンが間に合えば可能性は高い。ただ、一般の花火大会と違い、競技大会までレベルを上げるためには、煙火店の選別に始まり、審査委員、審査方法そして観客の動員数(とてもクラウドファンディングだけでは成り立たない)そして、どの位強力なスポンサーがつくのかなど、実行委員会の手腕が見ものである。すべてを競技花火にするというのなら話は別だが。もう一つ忘れてはいけないのが地元の理解と評価(評判)だ。今年、まさかこのような大規模な花火大会が開催され、見ることが出来たなんて、夢か奇跡かのレベルである。それは花火の質と内容にも言える。大会関係者のエネルギーに御礼申し上げたい。
打ち上げ前、近くの住民であろう年配の親父さんに、声をかけられた。高台に移り住んだというその人に、自分は思わず「ご家族は無事でしたか?」と迂闊にも尋ねてしまった。「家は流されたけど、全員無事だったよ。丁度そんなにお金もなかったから、国が家を建ててくれて助かったよ。」と笑って話してくれた。冗談交じりのその話は、今でも忘れられない。彼らに良い事が沢山ありますよう願うしかなかった。 |
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