8月の栞  『長岡まつり花火大会』

 いつも花火大会の多くを共にするK氏は、1日の神奈川新聞、2日3日長岡、4日酒田、5日伊那と追っかけをやる。
私はそんな優雅な生活は送れないので、3日のみ長岡へ行った。
「新潟三大花火」のうち、「柏崎」と「片貝祭り」は行ったが、「長岡」は日程が合わず、今年が初めてである。
川の花火と言われるだけあって、信濃川(川幅800m)を挟み、さらに長岡大橋・大手大橋そして信濃川に最初に架橋された(1876年)長生橋の3つにまたがる花火打上げ場所。
主催者が世界一?と、豪語するだけのことがあって、スケールは勿論、花火の質も一級品。
中でも、「正3尺玉」は使用火薬量制限一杯の80sを用い、別格。  もう凄すぎて、呆気に取られてしまう。
打ち上げ場所が何ヶ所も有り、スーパーワイドな為、一回ではとても満足な画角では撮れない。 いや、角度的には、180度あるので数年以上出掛けるだけの価値の有る大会で有る事は間違い無い。それにしても場所取りは日干し覚悟の体力勝負だ。
熱中症など気にしていたら、並べたものではない。

 私の写真の被写体の主なものは、「蛍」と「花火」だ。
長岡花火の公式ホームページに、「蛍になった特攻隊員」という話が載っていて、感動した。

−−−−−− 本分を引用しました。 −−−−−−
昭和20年6月6日鹿児島県知覧の飛行場から特攻隊員として飛立ち、帰らぬ人となった宮川三郎さんの話しです。
宮川さんは新潟県北魚沼郡城川村(現・小千谷市)の出身で私の母校である、新潟県立長岡工業学校機械科を昭和17年3月に卒業されました。大変優秀な方だったそうで、その後慶應義塾大学工学部と早稲田大学工学部の両方に合格されましたが、折からの戦争の影響で第1回の学徒出陣に参加、昭和20年5月からは特別攻撃隊員として、知覧飛行場で出撃を待つという日々を送っていました。
6月5日、明日の出撃命令を受けて特攻の母と呼ばれる富屋食堂の鳥浜トメさんに「何も心残りはないけど、死んだら又おばちゃんの所に帰ってくるよ、蛍になって帰って来るから、店の戸を少し開けておいてくれね」と言い残して翌日出撃して行きました。6月6日夜9時頃、富屋食堂にスーと1匹の蛍が入って来たのを皆が見つけ「宮川が帰ってきた!」と大騒ぎになり、全員で肩を組んで同期の桜を歌った・・・
という実際にあった話です。
この話しにはさらに続きがあって、平成4年4月に鳥浜トメさんは亡くなったのですが、不思議な事にそのお通夜の夜に、1匹の蛍が棺の納められていた部屋をスーと飛んでいくのを多くの人が目撃しました。4月の下旬に蛍が飛ぶはずがないのに、あれはきっと宮川さんがトメさんを迎えに来たのだと話題になったそうです。
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戦争の爪跡はご当地にも有ります。
昭和20年8月1日に長岡空襲に合い市内の80%が焦土と化したものの、わずか2年で長岡花火は復活したのである。
長岡の人々の強さを示す花火大会でもある。

撮影日:2012−8−3 19:15〜21:10

1.信濃川大手大橋に沈む夕日 2.
3. 4.
5. 6.ベスビアス超大型スターマイン
7.ベスビアス超大型スターマイン 8.ベスビアス超大型スターマイン
9.ベスビアス超大型スターマイン 10.天地人
11.天地人 12.天地人
13.ベスビアススターマイン 14.ベスビアススターマイン
15.ベスビアススターマイン 16.
17. 18.ミラクルスターマイン
19.ミラクルスターマイン 20.尺玉100発のうちの一コマ
21. 22.ベスビアススターマイン
23. 24.フェニックス
25.フェニックス 26.フェニックス
27. 28.三尺(上空600mまで上り、直径650mの大輪を咲かせる)
 
29.三尺(長生橋850mを包む巨大三尺)
 
拡大写真でご覧頂けます。