| 11月の栞 『第44回焼津海上花火大会』 |
先日、中三の国語の授業をしていた時、山崎正和さんの「混沌からの表現」と言う作品が、問題集に掲載されていた。内容は、花火の美しさを論理的に説明したもの。なかなか当を得ていて自分では到底分析と表現ができない能力の高さに感動した。抜粋にてご紹介したいと思います。
夏をいろどる風物詩の中で、花火ほど魅力的で、そしていかにも日本的な美を見せるものは少ないだろう。(中略)あるときは菊の花を描き、あるときは松の葉を形づく、それは獰猛であるはずの火を、優しい心で飼いならした芸術だといえる。セーヌ川のうえでもハドソン川のうえでも、私は日本の花火ほど絢爛として、しかも典雅な火の饗宴を見たことが無い。(「絢爛」=きらびやかに輝いて美しい事・「典雅」=きちんと整っていて、美しいさま・「饗宴」=おもてなし)(中略)おそらく問題の花火そのものも、原型は火薬と共に南蛮伝来の魔術であったにちがいない。けれども花火は、たんに燃え続ける光と焔の芸術ではない。それは一瞬に燃えあがり、たちまち燃えつきる変化によって人の心を魅惑する。灯火が光の永遠性を象徴しているとすれば、花火は闇の中に生成する火のいのちを象徴しているといえる。
確か寺田寅彦であっただろうか、花火のなかには「序・破・急」のリズムがある、と書いた随筆家があった。(この{あった}はミスプリントであって欲しい。「あった」ではもの扱いになってしまう可能性があり、寺田氏が人間でなくなってしまうのでは?)。初めはゆっくりと動きを起こし、なかほど激しく開花すると、やがて暗闇にむかって永遠に消えて行く。この三段の生成リズムは、古くから日本の伝統的な芸術の骨格をかたちづくってきた。能の大成者、世阿弥によれば、この「序・破・急」は水の流れにも鳥の鳴く音にも認められる。舞や歌はもちろんのこと、とんとひと踏みする足音のなかにも、この日本的なリズムが働いていると言う。
始めがあり、中があり、終わりがあり、それが整然たるリズムに乗って展開するとき、われわれは物事が完結したという印象を受ける。(中略)
そして、日本人は特にこのリズムに敏感であり、一瞬の変化のなかにもまとまりを感じる感受性にめぐまれているのかもしれない。(中略)だとすれば、この独得な感受性が花火という、いわば純粋な変化そのもののような美を育てたとしても不思議ではないのである。以上。
まあ知力のあまり高くない自分には、解ったような分からないようなですが・・・。以下本題へ
本来なら、この焼津海上花火大会は8月14日(荒天時は15日)に行われるはずの大会だったが、台風による高波の影響で中止となった。今年の夏は結構な数の花火大会が中止または延期となってしまったが、いったん中止としながら秋に復活する大会もいくつかあるので、それなりにチェックはしておいた。しかし、11月の3日となったおかげで、前日の会津若松の注目花火と連日となってしまった。花火ファンにはこんな嬉しいことは無いのだが、自分的には二者択一を迫られる結果となった。焼津をチョイスした訳は、夜景で有名な[高草山]から撮影したかったから。夏なら、海からの風が一般的だから、向かい風覚悟。ところが11月に開催してくれることなんて,今後確率的には相当低い。よって迷わず3日が日曜日でもあるので、堂々と休みを取って出かけた。残念ながら天候は三連休の中で一番悪く、曇り空が一日中続いてしまった。それでも、午後数ミリの雨予報も出ていたのだが、実際に雨が降り出したのは夜になってからだった。18時の時点で、気温17度を少し下回り、湿度は70%強、風はほとんど無かった。念願の北風は吹いてくれず4,5号玉は、煙の滞留の犠牲になり、長く水平に延びた煙の餌食となり霞んでしまった。
今回撮影に臨んだ場所は「笛吹段公園」という、高草山に続く農道の途中にある公園。2016年3月に標高500メートルくらいの高草山の中腹まで行き、夜景を撮影しているので、今回はここにした。理由は、あまり高すぎてもどうかと言うことと、三脚の設置に適した場所が限られていて、先客が場所取りしていた場合、余地がない可能性があったからだ。15時に笛吹段公園に到着すると公園最後部のテラスには、既に10本近くの三脚が並んでいた。そして、坂の途中に止まっている横浜ナンバーのステップワゴンを見て、それが誰であるかすぐに分かった。M氏とその仲間たちが乗り合わせていらしていた。挨拶をすると多少びっくりされたが、お互い遠花火撮影の場合は、ひょんな処で顔を合わせているので、「又か!」といった感じ。聞くところによると、12時には到着していたそうで、その時は青空も出ていたそうだ。夕方になるにしたがって天気は悪くなり、、それでも予報よりは多少はよく、雨は心配なかった。M氏は、焼津新港の打ち上げ会場で撮影に臨んでいる仲間と電話連絡をし、マイクを通して聞こえてくる会場のアナウンスを、ここまで聞こえる手はずを取った。おかげで、進行はプログラムを見なくても十分わかり、大いに助かった。彼ら三人の会話は、はっきり言って型番の数字や聞いたことがない固有名詞が出て来て、ついて行けないのが実情。18時ころには付近の道路は片側ずらりと車が止まり、一部、両側に止めたらしく渋滞を起こしたらしい。どうやら、ここは絶好の観覧場所のようで、この狭く急な坂をよく上って来るものだと感心してしまった。
花火はプログラム的には、3号4号5号の連打の後10号がやや左手から上がり、ワンセット完了というパターン。最後から2番目のデジタルスターマインは、熱海のそれよりも若干物足りなさを感じたが、まずまずだったかな?。会場の歓声が花火の打ち上がる音とともに一段と大きかった。ラストに上がる20号三本は、焼津の名物ではあるが、もう少し余韻を楽しむために間隔をあけてくれたらなーと思った。多少推進力が足らず、下がり気味になった時に開花したのはご愛嬌ということで。
帰りは、数珠つなぎになって下りて行く見物客の車について急坂を下り、東名高速焼津インターから全く渋滞なしで帰ることができた。かなり以前、焼津花火を港の最前列で見たことがあったが、その時の花火の迫力も多少記憶に残っているものの、一番の印象は、帰路全く車が動かなかったことだ。その時、もう二度と行くもんかと思った。だから、今日の脱出は嘘みたいで、来年、もしオリンピックがあって、再び秋に開催なんてことになれば予定さえ合えば行ってもいいかなと思った次第。ただ、もう少しグレードアップか、二尺玉の精度を上げてもらいたい。お金も払っていないのに言えた立場ではありませんが・・・。 |
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