近ちゃんのペット物語 自分史(1/5)
近ちゃんの幼少の頃の想い出

 「ひよこ」

1950年

お祭の縁日では色々な小動物が売られている。たらいの中で、黄色いヒヨコがピヨピヨと、鳴いているのはかわいいものだ。
ついつい欲しくなり親にねだって買ってもらう。
かわいいのはほんの数日、食欲旺盛なヒヨコはすぐに大きくなり、鶏小屋行きになり、雄のため、卵を生まないので、半年で食肉になってしまった。
ペットの定番

「うさぎ」

1952年 

今度は手のひらにのっかる「ウサギ」、あまりにもかわいいので買ってもらう。 これまた、日々大きくなり、世話が子供の手に負えなくなる。 結局、親が小屋を造り、親が面倒見ていた。
近ちゃんの小学低学年の頃

1954年
学校帰りに、捨てられている子猫を拾い、家に持ち帰って、かくまっていた。
餌を求める子猫の声で、母親にばれてしまい、「捨ててこいと叱られることしばしば」、2〜30メートル隣の旅館の庭に置いてくると、子猫の方が先に家に戻っていた。 子猫を紙袋に入れ、方向が解らなくなるように、庭で三回まわってから、200メートル離れた海岸に持っていき、草むらに置いてきた。 紙袋を破って出てこないうちに、走って逃げ帰った。
記憶では、5〜6回位繰り返したと思う。 一度だけ、子猫が飼われていた。 母親の根負けか、賢い子猫だったのか、いつも母親のあとを追っかけていた。
庭にある井戸にフタがされていなかった頃、子猫は足を踏み外したらしく、翌朝、井戸の中で水死体になっていた。
これを機会に、子猫を飼うことを許さなかった。 確かに、田舎では、野良猫が納屋で出産をして、何匹か死体になったり、食卓の魚を盗まれたりしているので、母親は猫の姿が見えると「しぃ、しぃ」と追い返していた。
 
近ちゃんの少年時代

1957年
伝書メジロに挑戦。 メジロは野生の鳥であり、すきあらば籠から逃げ出すチャンスを狙っている。
餌や水をやるために籠の入り口に、手を突っ込む時が一番危険。
そこで思いついたが、伝書鳩流だった。 メジロ籠を2両編成にして、入り口同士をくっつけた状態から始め、一年間で3メートルほと゛はなしてもOKとなった。
手のり文鳥、手のりカナリヤ、ジュウシマツのたぐいにも挑戦。 卵から生まれたての雛から人間の手で育てれば、簡単に手のりになる。 カナリヤは鳴き声も良いので、永いこと飼育していた。
 
庭をボコボコにする「もぐら」

1957年
庭にトンネルを張り巡らしていたモグラくん、父親に捕らえられ、金タライの中へ幽閉、モグラも飼ってみたが一度も姿を見たことが無かった。
近ちゃんのペット飼育の横綱は、「ぴー〜ヒョロ」と鳴く

「トンビ」で有る。

1959年
庭の井戸端で魚をさばいていた姉の背中に、トンビが飛びついてきたが、姉の着ているセーターの為に爪が引っかかり、あえなく御用となった。 捕らえられた鳶は竹籠にいた。
学校から帰って、早速、小屋作りをした。 くちばしと爪は鋭いが、目は愛くるしかった。 時代劇で良く見る「左腕に鷹を止まらせている」のをまねして、引っかかれたり、噛まれたり、生傷の絶えない飼育だった。
餌は生魚のため、行商の人が必ず我が家に寄ってくれた。 狭い小屋では運動不足になるだろうと思い、足に針金を巻き付け、ひもを20メートルつけて海岸で空中散歩させてやった。
数年飼育していたが、ある時、小屋の破れ穴から逃げ出しそのまま帰ってこなかった。
一説に因ると、野生の動物は飼い主に死骸を見せないそうだ。
妻の実家は犬派、
 犬一号、  犬二号とも
名前は「ジョン」

1971年
妻の実家では、犬を飼っていた。 近ちゃんの実家では犬を飼った記憶がない。
こんな二人が結婚して、登戸の借家住まいから、海老名に引っ越してから、子供の情操教育の為にと、文鳥、インコ、ウサギ、ハツカネズミ、金魚、フナ、ザリガニ、猫、犬と増えていく。
特に、猫や犬と生活を共にすれば、小動物をいじめる気持ちにはならないと思う。
 

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