僕は「ジョン」です。
1978年7月 |
妻が飼っていたときの犬の名前です。
人間が名家の出身で無いので、せめて動物だけでも血統書付きを望んだ。
見た目がかわいい「シェットランドシィープドック」が選ばれました。
普段はおとなしいが、花火の音やバイクの音に過敏だった。
犬小屋は玄関脇の庭に置いていたが、家の前が新聞店で、朝早くから、大声を出すために「ジョン」はいつも吠えていた。
5〜6年飼っていたが、ある時、食べ物を吐き出して動かなくなってしまい、獣医さんに診てもらったら、毒饅頭をだべたらしい。
とのこと。
結局即死に近い状態だった。
命日は、昭和59年8月31日でした。 |
 |
僕は「チロ」です。
1980年 |
血統書付きの「チンチラ」です。
毛が長いので、毛玉が出来て大変でした。
狭い家の中に居るのがきらいで、スキあらば良く脱走していました。
2〜3日してキズだらけで帰ってきました。
5〜6年経った夏のある日、家出の際に知り合った「カギしっぽの野良猫の子供」を連れて帰ってきて、自分の餌を分けてやっていた。
その後、まもなく「チロ」は体調を崩し、かかりつけの獣医さんのところへ入院した。
数ヶ月入院していたが衰弱は激しく、子供達も悲しむといけないので、とうとう死に目に会わせず、御骨で「チロ」は帰ってきた。
「チロ」が入院している間、「カギしっぽの子猫」は、追い返しても追い返しても家に入ってきた。
命日は、昭和62年4月17日でした。 |
 |
私は 「うさこ」です。
1982年 |
長女の同級生で、農家の子がおり、ウサギを飼っており、生まれて間も無いのをもらってきた。
市民農園で野菜を作っているときは餌に不自由し無かったが、畑作りを止めてからは、「うさこ」の好物の「タンポポの葉」を捜し求めた。
数年間、飼っていたが、除草剤のかかった「タンポポの葉」をうっかり与えてしまった。
その後、下痢が続き、獣医さんも手を尽くすが、あえなく他界する。 |
 |
ネコ一号の代わりになってあげる。
1986年8月 |
血統書など無い雑種で貧相な子猫だった。
コオロギが主食らしく、しょっちゅう腹下ししていた。
治療代もかかった。
あまりのずうずうしさに人間のほうが負け、飼うことになった。 |
|
僕は「チャブ」です。
1986年9月 |
茶色のブチが多いので、簡単に名前をつけられました。
カギしっぽは生まれてまもなく、踏まれたらしく尻尾の先端が骨折したものです。
半年以上、野良の生活をしていたので、人間に飼われることは非常にうれしかったし、衣食住に恵まれ幸せでした。
器量は良くない分、性格美人を貫きました。 |
 |
トイレ用の砂獲りが大変でした。
1986年10月 |
野良のしつけで、土の上で便をする習性がついてしまい、先輩の「チロ」の方式が全く通じない。
勝手口の扉をあけて外へ出してやるとすっきりして帰ってくる。
土では家の中が汚れると思い、河原から川砂を取ってきて、プラスチックの箱に入れ、玄関内に置いてみたら、そのトイレにちゃんとする。
まずは一件落着した。
ただし、月に一度の割合で砂を取りに相模川流域を走り回った。 |
 |
爪とぎは、階段のじゅうたん
1986年12月 |
家の中の床はすべて、フローリング床材のために爪を研ぐ場所が無い。
唯一、鉄製の階段に貼り付けているジュータンが爪研ぎ場所になり、「チャブ」の長年の作業で、ジュータンはところどころ毛羽立ち、穴があき地肌の鉄板がむきだしになった。 |
 |
野良の生活に戻りたくないので、家出はしません。
1987年 |
家の中では、どこかで寝ているらしく、人間が台所に行くと、食事かなと、どこからか現れ、人間の顔を見て、「ニァー」と挨拶。
玄関の扉が開いていても、外の様子は伺ってはいるが、飛び出していこうともしない。 |
 |
「僕はネコです」寝てばかりしているので。
1987年 |
猫には三つの呼び名が有るそうです。
ネズミを捕る猫を「トコ」、蛇を捕まえる猫を「ヘコ」、昼も夜も寝ている猫は「ネコ」です。
そうです・・「チャブ」は23時間寝ています。
まぶしいので、いつも前足でアイ・マスクしています。 |
 |