4月の栞 『諏訪大社上社御柱祭』

全国的にも有名な寅と申の年に行われる諏訪大社の大祭である。
6年前は近藤師匠をお誘いし、「木落とし坂」を隔てた上川の一般観覧席から坂を滑り降りる御柱を何本も撮影した。
2010年4月11日の様子は近藤師匠が克明に撮影されているので、そちらをご覧頂きたい。

お断りしておかなければならないのは、今回自分が撮影したのは上社のもので、6年前に出かけたものは下社、下社は4月8,9,10日に行われる(た)。
上社と下社の御柱の大きな違いは、上社には「メドデコ」と呼ばれる柱の前後にカタツムリの角のような棒(角)が有るかないかの差。
この角が生えているおかげで、角の最上段は3メートルの高さ、自宅の二階で応援している住人たちと、手が繋げてしまうほど。
いやいや、狭い道を曳き回す時など相当の苦労があるのだ。
特に以前までなかった信号機や、成長し、道にせり出した木々に細心の注意を払っての曳き回しとなった。
さらに大変なのは、JRのガードを潜る時は「角」を外さなければならない。
「メドデコ」に上っている氏子は、常に「おんべ」と言う棒の先に蝦夷松や椴松をカンナで薄く削った房の付いた棒を振りながら、威勢の良い掛け声をかけていなくてはならず、大変な重労働である。
もし元気がなかったり、疲れた顔でもしようものなら、監督責任を負っている親分さんから、直ぐに交代を命ぜられてしまうそうだ。
御柱は、元綱から分かれた男綱、女綱を本宮、前宮各4組に所属する曳き子によって曳かれる。
街中は、法被(印半纏)を着た地元関係者の老若男女も御柱を曳く事が出来、木落とし坂と、宮川の川越しの際は大変な危険が伴うので、その人たちは周囲に退避を余儀なくされる。

今回、自分は「本宮二」と言う諏訪湖湖南地区の方のはからいを得て、3日の早朝から17時頃まで、この地区の御柱を曳きながら行動を共にする事が出来た。
勿論「木落とし坂」の中にも入ることも出来、6年前400ミリの望遠を持参しなかったがため、はるか彼方の小さな氏子さんたちしか写せなかったよりは、ずっとましな写真が撮れた。
但し危険が伴うので場所的制約があり、決して満足なポジションから撮れた訳ではありませんが、極力迫力映像を心がけたつもりです。
こうしたチャンスはおそらくもう無いであろうと思いますが、大変貴重な経験をさせていただきました。

今回自分は一つの組に張り付いて(地元の住人に成りすまして)柱を曳いた事で、テレビで流される最大のクライマックスである「木落とし坂」から落とされる何本もの御柱ばかりを見ていたあの時の自分が恥ずかしくなりました。
なぜなら、余りにも物事の一面だけを見ていたにも拘らず、「木落し」を見に行った気でいたからです。
丸一日かけて旅をする御柱、いやその前日から始まっている山出し(残念ながら土曜日は同行することは出来ませんでしたが)を含め約12キロの行程をこの目で見なければ、本当の意味での御柱際の余韻は感じることは出来ないのだろうと思いました。

「本宮二」の柱は、木落し坂をきれいに滑り落ちる事はできなかったし、(よって撮影の方も迫力不足)、右側の男メドから、一名の氏子が落ちてしまったり(こちらは砂ぼこりの舞う霞の中、その瞬間をかろうじて動画にて捉えられています)、散々でしたが、曳いてている身になると、そんな事より無事に御柱を「御柱屋敷」まで曳くことしか頭にありません。
宮川を渡る時など、見学しているだけでも北風が相当冷たいのに、何人かは「ふんどし」一丁で川に入ります。
そして、彼らは御柱が川に落ちる前からずっと川の中で待ちます。
宮川で清められた柱は、水分を含み重くなっているのに、最後の力を振り絞って、ゴールを目指します。
朝からずーと同行しているラッパ隊の女性たちも、袴を濡らして川を渡ります。
細かい事を列挙したらキリがありません。
赤ん坊を背負ったお母さん、幼稚園くらいの子供達、その他大勢の人々が協力して一生懸命柱を曳く姿を見ると、坂を上手く滑り落ちるか否かだけを待って撮影するカメラマンにならなくてよかったと痛切に感じました。
最後に万歳をし、関係者の挨拶が終わるまで、「本宮二」の御柱を見届けました。

この日、午前3時半に自宅を出て6時に諏訪到着。
出掛けは小雨が降っていて、現地の天候が心配されたものの、山梨県に入る頃には雨も上がり、路面も乾いていたので一安心。
一日中曇天だったが、かえって太陽が照るより綱を曳く者にとっては良かったのでは?
メドデコに上る人は、飲酒禁止ですが、曳く人は日本酒を飲みながら掛け声をかけています。
自分にも、プラスチックのコップにお酒を注いでくれた曳き子さんがいて、結構いい気分でシャッターを押していました。
でも逆に喉が渇きます。
かと言って水を飲み過ぎるとトイレが近くなってしまうので我慢。
第一トイレがどこにあるか判らないし、一箇所見つけた時にはそこは長蛇の列。
もし、並んでいたら「本宮二」はどこかへ行ってしまいます。

夕方になるとさすが長野県、急に冷え込んできました。
前日から寝ていなかったので相当辛い一日になると思っていましたが、終わってみると思いのほか元気が残っていた。
その後、お世話になった関係者の自宅迄送って頂き、地元では有名な「千人風呂」と言う温泉で埃を洗い流し、ビールと握り寿司を鱈腹ご馳走になった。
御柱の話は大いに盛り上がり、深夜まで及び、一瞬自分も諏訪地方の人間になったような気分でした。
そして、5月に行われる里曳きにもご招待を受けました。
確かに御柱屋敷置き場から2キロあまり離れた本宮まで曳かれる様子を見届けなければ御柱際は完結しない事は十分わかってはいるのですが・・・。
何とか都合が付けばいいと思います。

(追記)メドから落下した氏子さんは、直ぐに曳き子の方によって助けられ、自ら歩いて男綱を潜って退場いたしました。
地元テレビで見る限りでは肩を打撲しているようでしたが、救急車で運ばれる様子は確認できませんでした。
一日も早い全快をお祈りいたします。

撮影日:2016−4−3 長野県茅野市宮川にて

作品は以下の構成となっております。

動画 @掛け声の録音
動画 Aメドデコから転落の瞬間(不謹慎ですみません)


写真の部は三部構成

第一部・木落とし坂までの曳行
第二部・最大のクライマックス=木落とし坂
第三部・川越しから御柱屋敷まで

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